感性の表現方法




日本人は自分の感性の表現が苦手だと思う。それは教育からきているのが、そういう国民性なのかはわからないが、そう思う。

私の小さい頃、昭和の後半は習い事から始まり、義務教育中も他人と違う事をすると怒られた思い出がある。

幼稚園の頃、私は革新的な迷路を自分で考え出した。内容は覚えていないのだが、考え出した記憶がある。それを紙に書き出し、先生に見せた。先生には迷路に見えなかったんだろう。説明を聞く事もせず、私が書いた迷路を「迷路じゃない。微生物だ」と言い張り、私の母親に「微生物の絵を迷路と言い張っている。迷路というものをきちんと教えてくれ」と注意した。もちろん私は迷路というものを知っていた。あと私は微生物とは何かを知らなかった。

このように全て横並びに教育をし、常識の範囲を超える子供を注意する。そんな教育を受けていると伸びるはずの感性も伸びないだろう。

先日イタリア人のデザイナーにこう言われた。

「なぜ日本は浮世絵や着物など素晴らしい文化が溢れているのに、西洋の文化を真似するのか?私は日本の文化を尊敬し見本にする事もあるのに。」

確かにそうだ。私は無意識のうちに海外のものが素晴らしい。海外のデザインを見本にしなければならない。そう思っていた所もあるのかもしれない。

写真の話

このブログはカメラのブログなので話をそっちに持っていこう。

感性というものは誰にでもあるもの。そう思う。写真で考えると、自分が良いと思えば良い写真なのであると思う。

もちろんプロは違う。プロのカメラマンはクライアントがいるので、クライアントに良いと思われ対価を貰わなければいけない。私もクライアント側なのでカメラマン探しは大変である。その人の撮影した過去の写真を見て、私が依頼したい写真を撮れるのか想像しなければいけないからだ。

このように一般のクライアント目線で「イイ」写真を撮り、いつ・どこで・何が起きても、そのクオリティの写真を生み出さなければいけないのだ。

趣味の写真

という事で、自分が良ければイイって話だが、それもまた難しい。なのでインスタのイイね数を気にしたり、コンテストに応募してその結果に一喜一憂するのだろう。

ちなみに私も仕事で大規模なインスタアカウントを運営していたりもするのだが、「良い写真」だから「イイね」が沢山つくわけでは無い。これは断言できる。誰もが知っているクラスの写真家さんの写真をインスタに名前を伏せてアップしても「イイね」は沢山つかない。「イイね」が沢山つくのはインスタに特化して撮影した写真のみである。

自分の写真を評価してもらうなら、コンテストがイイのかもしれないが、コンテスト事に特性があるらしいので難しい所でもある。私は応募したことは無いのでよくわからない。

ということで、普段は完全趣味カメラマンなので、好き勝手、色々な方法で撮影している。自分がイイなって思った写真もインスタでは「イイね」がつかなかったりもするが、最近は気にしないことにしている。

それよりも「撮影時に自分が感じた事」が表現できているのかとか、写真を見てその時の感情がもう一度体験できるかとか、そちらに重点を置いて撮影している。

やはり小さい頃の影響か、「イイね」の数や周りの評価を気にしてしまうのは否めないが、それを超えた先に自分の表現があるのかなって最近は思っている。

今日の写真

長崎 グラバー園にて Leica M(Tpy240) Summicron 50mm

長崎のグラバー園という所に行った。明治時代の洋館が沢山あるのだが、その中の一室に上の写真のステンドグラスが置いてあった。薄暗い室内の窓で静かに佇むステンドグラスがとても不思議で、空気もヒンヤリ感じた。まるで別の世界、別の時代に自分が移動してしまったようだった。そんな空気感が切り取れたかなって写真がこれです。